特攻隊の守りたかったもの
こんにちは!
本日の更新者は桜井です。
今日は自分が昨年の夏に訪れた
鹿児島県にある知覧で聞いてきた特攻隊について書こうと思います!
みなさん特攻隊についてどんなイメージを持っているでしょうか??
人それぞれだと思いますが自分は
「国の為にすごいなぁ…」
程度にしか思っていませんでした。
知覧の平和記念館には、特攻隊に行った隊員たちの写真や手紙が行くつも展示してありました。
手紙には「国の為に行ってきます。」「国の誇りです。悲しまないでください」
などが書いてあり、自分と同じくらいの歳なのに死を受けいけていたのかと驚きました。
その後、ほたる館冨屋食堂に行きました。
そこは知覧特攻基地の食堂でした。
そこの女将、鳥濱トメさんは特攻隊員から「お母さん」と呼ばれていました。
現在はその食堂が記念館となっているのですが、そこには平和記念館では知り得なかった事実がたくさんありました。
自分は特攻隊員は死を受けいれ、とんでもない精神力だと思っていましたが、事実特攻に行く前日は誰もが「死にたくない」と泣いていたそうです。
ではなぜ、それでも特攻へ行ったのか。
それは、自分が特攻に行かなければ
本土決戦となり自分の愛する家族、友達、恋人にまで被害が及んでしまうと考えたからです。
あの時代、アジアの国々はほとんどが植民地となっていました。
それを知っている日本は植民地がどういうものかも知っていました。
あの時、特攻隊が飛んでくれていなかったら僕たちはここにいないかもしれません。
知覧はとても考えさせられる場所でした!!
以上
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